潜在意識 無限の意識がたくさんに分かれて観てる有限の夢 

私は数年前、怪談のイベントを小ぢんまりとやっていた。で怖い話を仕入れないとと思って色んな怪談の本やオカルチックな本、あるいはその手のジャンルをネットなどから調べてた時期があった。わたしは感化され易い子(今考えてみたらこの思い込みがネック?)なので良くない事、運のわるい事、当時つき合ってた女性と話通じなくなって別れる等、その他嫌なコトがイロイロ立て続けに起きたのである。

 

で思ったのである。怖い話や幽霊の話に感化されて良くない事が起こるなら、逆に神様仏様、その他ミラクル話等を調べたら良い事が起こりだすんじゃないか?と。

 

そしていろいろ調べていくうちに、私なりに無い知恵しぼってこうじゃないかなと思った『信じる信じないはあなた次第』的な事をここに書いてみる。

 

 

真理、摂理、宇宙、大元、如来、神、呼び方は様々だろうが、つまり全宇宙のすべてのすべての根本原因であり、すべての内に在りてすべてを識る永遠の意識がある。

われわれ一人一人の意識(魂)は そんな無限の意識より一時的に舞い上がったシブキの一粒一粒であり、舞い上がっている最中の多くのわれわれは本来自分が何者であったのかをどういう訳か忘れてしまっている。

この星では現在地上で生きてる70億人と上空で待機してる30億人の計100億人ほどがこんな状態で生まれ変わりを繰り返している。

しかし古今東西、肉の体で生きてる最中に自分が何者なのかを思い出した人たちもいる。有名どころでいうと、ゴータマ•ブッタやイエス•キリストといった人たちであろう。

かれらマスターだとかアセンテッドマスターだとか大師といわれるくらいまで意識を普遍的意識にまで昇華させ感得したのなら、その程度に応じて潜在意識(≒神)を使い放題だと思われる。伝説にあるように水の上だって余裕で歩けたろう。

 

 

とはいえ、我々普通の人(?)も迷盲の闇に囚われてはいるが神の分霊であり、迷盲の闇に囚われている我々なりの想いを随時現象化しているものと思われる。極端な例でいうと『思い通りにならない』という想いが叶っているのである。

 

 

末那識。マナシキ

大乗仏教唯識派 起源のことばである。

顕在意識と潜在意識(≒阿頼耶識≒集合意識)の間にある自分を自分足らしめている個別意識の領域、マナ識。アイディンティティーやエゴの領域である。無知の闇、否定的観念、ネガティブな思い込みとうの汚れがこの『末那識というレンズ』に付着して潜在意識からの光に変な影や暗い色がつくのである。

ユングの出現よりも1600年も前にヨガを極めてこの『末那識と阿頼耶識』の領域を探り当てたインド人兄弟に脱帽!※

潜在意識を上手く使う為のカギは顕在意識と阿頼耶識との間に横たわる、この末那識に蓄積された否定的なエゴやなんかを何とかしなきゃイケナイなとか考えてたら

 

  ちょっと前、奥平亜美衣さんという方の『引き寄せ』の本を読んだ。

末那識という言葉は出てこなかったが、潜在意識と顕在意識の間にある『ザル』という表現とイメージ図が載ってた。

 

ここ数年、こうじゃないかなーと考えたことを、他の人の話や文章で答え合わせしてる用な事がよくおきる。

 

 

この調子で売れてやる!