潜在意識  子どもの頃は感じていた 目に見えない力がある。

私が最後にTVに出たのは何年も前だ。

ゴールデンの時間帯の番組だ。スタジオでネタをやった。とてもウケた。観覧のお客さん達にも あの憧れの人達にも。うれしかった。ただ同時に 何だか虚しくなってしまった。

それまであーでもない、こーでもないとネタを作ってはライブ等で掛けてウケてスベッて、その度に一喜一憂しながらも、目指していたのはココなのか?と。いやココなのだ。この世界なのだ。なのに何で虚しいんだ?

どーしてイイのか分かんなくなった。

 

それまでお客さんにウケるということを 第一義に、つまり他人の評価を基準に考えていたので(それも もちろん大事だが)自分の中が虚ろに思えた。

そんな私が起こしたお客さんの笑い声はどんなに大きくても上っ面に思えてしまった。

 この調子で売れる事が出来ても、その後ツラいだろうなと思ったのでした。

 

 なにをやっても大切な事に思えなくなってしまった。

完全にではないが芸事もほとんどしなくなってしまった。

でアノ地震である。

 

なぜかある日思った。 

『世界には色んな種類の力がある。力の応用の仕方を知れ』と、なぜか頭を洗いながら思ったのである。

 

 で程なくして本屋で目を引いたのが、ロンダ•バーンの『パワー』であった。

潜在意識 無限の意識がたくさんに分かれて観てる有限の夢 

私は数年前、怪談のイベントを小ぢんまりとやっていた。で怖い話を仕入れないとと思って色んな怪談の本やオカルチックな本、あるいはその手のジャンルをネットなどから調べてた時期があった。わたしは感化され易い子(今考えてみたらこの思い込みがネック?)なので良くない事、運のわるい事、当時つき合ってた女性と話通じなくなって別れる等、その他嫌なコトがイロイロ立て続けに起きたのである。

 

で思ったのである。怖い話や幽霊の話に感化されて良くない事が起こるなら、逆に神様仏様、その他ミラクル話等を調べたら良い事が起こりだすんじゃないか?と。

 

そしていろいろ調べていくうちに、私なりに無い知恵しぼってこうじゃないかなと思った『信じる信じないはあなた次第』的な事をここに書いてみる。

 

 

真理、摂理、宇宙、大元、如来、神、呼び方は様々だろうが、つまり全宇宙のすべてのすべての根本原因であり、すべての内に在りてすべてを識る永遠の意識がある。

われわれ一人一人の意識(魂)は そんな無限の意識より一時的に舞い上がったシブキの一粒一粒であり、舞い上がっている最中の多くのわれわれは本来自分が何者であったのかをどういう訳か忘れてしまっている。

この星では現在地上で生きてる70億人と上空で待機してる30億人の計100億人ほどがこんな状態で生まれ変わりを繰り返している。

しかし古今東西、肉の体で生きてる最中に自分が何者なのかを思い出した人たちもいる。有名どころでいうと、ゴータマ•ブッタやイエス•キリストといった人たちであろう。

かれらマスターだとかアセンテッドマスターだとか大師といわれるくらいまで意識を普遍的意識にまで昇華させ感得したのなら、その程度に応じて潜在意識(≒神)を使い放題だと思われる。伝説にあるように水の上だって余裕で歩けたろう。

 

 

とはいえ、我々普通の人(?)も迷盲の闇に囚われてはいるが神の分霊であり、迷盲の闇に囚われている我々なりの想いを随時現象化しているものと思われる。極端な例でいうと『思い通りにならない』という想いが叶っているのである。

 

 

末那識。マナシキ

大乗仏教唯識派 起源のことばである。

顕在意識と潜在意識(≒阿頼耶識≒集合意識)の間にある自分を自分足らしめている個別意識の領域、マナ識。アイディンティティーやエゴの領域である。無知の闇、否定的観念、ネガティブな思い込みとうの汚れがこの『末那識というレンズ』に付着して潜在意識からの光に変な影や暗い色がつくのである。

ユングの出現よりも1600年も前にヨガを極めてこの『末那識と阿頼耶識』の領域を探り当てたインド人兄弟に脱帽!※

潜在意識を上手く使う為のカギは顕在意識と阿頼耶識との間に横たわる、この末那識に蓄積された否定的なエゴやなんかを何とかしなきゃイケナイなとか考えてたら

 

  ちょっと前、奥平亜美衣さんという方の『引き寄せ』の本を読んだ。

末那識という言葉は出てこなかったが、潜在意識と顕在意識の間にある『ザル』という表現とイメージ図が載ってた。

 

ここ数年、こうじゃないかなーと考えたことを、他の人の話や文章で答え合わせしてる用な事がよくおきる。

 

 

この調子で売れてやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜在意識 知らぬ間に一緒にいる人と同調してる 鏡の脳細胞

一緒にいる人に影響される。

 

バカとビンボーは感染る。

 何年か前に知り合いの女性がいっていたのがなぜか印象に残ってる。だからツルむ人は選んだ方が良いよと。

 

運がよくなりたければツイてる人間とつき合う。 

最近『法則』という船井幸雄さんの本でこういう事を書いてあるのをザックリ読んだ。

それ以前にも同じようなことを他の人からも聞きかじった事がある。

 

霊感のある人とずっと一緒にいると自分も視える様になる。

子どものころ、姉が霊感のある友達とずっと一緒にいたから私も視えるようになってきちゃった!と霊感少女を気取りだした事がある。

 

姉の『アンタの後ろに女の霊が、、』とか言い出して面倒くさかった頃のことを私に想起させる『霊感はうつる』はともかくとして、他の2点を聞いた時は ひどいこと言うなとか 現金なこと言うなとか 思ったものだが、今はなるほど一理あると思うのである。

 

 

ミラーニューロン

コレは他の人の行動を見て、まるで自分が同じ行動をしてるかのような反応を脳内でしている脳細胞。2000年ころイタリア人の人が発見した 我々霊長類特有の神経細胞である。

 私はミラーニューロン という言葉は以前から知っていたが意味まで知ったのは数日前だ。

 

たとえはアレだけど、精神科医がやがて自分自身もココロを病んでしまうというのもコレで納得できるのである。

そして成功を夢見る人にアドバイスする人たちがメンターを持った方がイイ というのも納得できる。 

 

 

以前ハタヨガの先生が言っていた。

『心で心をどうにか仕様とするのは水で水をすくうように難しいが、心と体は連動している。だからアサナ(ポーズ)をやって身体からのアプローチによって心を変容させるんだ。』的な事を。

 

 

身体の動き、動作、姿勢、表情、目線など、体の動きに内面は引っ張られる。

口角をあげてシアワセになろう!ってのもこの理屈だろう。

昔、メンヘラと言う言葉が一般的ではなかったころ、手首に傷のある女性から聞いた事がある『以前は対人恐怖症だったけど、社交的な娘たちを遠くから観察して彼女達の表情や動作等をずっとマネしてたら人としゃべれるようになったの。』と。それどころか『彼女たちが何を考えてどういう気持ちなのかも分かるようになった。』とまで。

 

 体の振る舞いを変えれば内面が変わり、内面が変われば世界も変わるのである。

 

つまり結論は 一緒にいる人、注目する人、意識の焦点を向ける人は、意図的に選びましょう。と思ったのでした。無意識に自分が好ましいと思えない人に注意を向けてるとミラーニューロンの働きによってソイツらみたいな人間に自分もなっちゃうよ!むしろなってるよ!なのである。

 

金持ちになりたいなら金持ち。

成功したいなら成功者。

モテたいならモテてる人。

 

可能なら彼らに接する、ないしは注目してそのあり方を意識的にトレースすると人生は開けるね。

 

 

 

潜在意識 情けは人の為ならず 

『人を呪わば穴ふたつ』

他人を呪ってヤッツケたら相手の墓穴も出来るけど、自分にも呪いがブーメランのように返ってきて結局自分の墓穴も出来る!だから合計2つ墓穴が出来る事になんぞ!コノヤロー!

『情けは人の為ならず』

他人に行う親切や諸々の善意は結局自分に良い事として戻ってくるんだぞ!よかったな!コノヤロー!

(ソイツの為に良くないから情けをかけるな。ではない。私も長年誤解してた。物事に対するネガティブな誤解って人生損するよな。)

 

これらは因果応報のカルマ的なことをいってるよね。

他者に向けて発した言動、 善意も 悪意も 世を循環して結局自分にかえってきて報いを受ける。

このカルマの法則、『誰も見てなくても お天道様は見てるよ!』といわれて育ってきた私は、今までの人生でやさぐれて『んなモンあるわけねーだろ!』の時期もあったけど、振り返ってみてやっぱりあると思えるのです。ザックリと。

まあ立証は出来ないが。

 

潜在意識的な作用も因果応報というコトの要因の一つじゃないかなと思うんだ。

ヒトの無意識の深い部分は自分と他人を区別していないようで他人に向けて発している言動や感情を、同時に自分の事のように受け取っているそうだ。

なので、他人に愚痴や呪い言ばっかり言ってると 知らずのうちに言ってる本人の深い部分がヤラレてきて いつのまにか何でかわかんないけど 鬱 になってたりするのである。

感情というのはラジオのチャンネル合わせと同じでその感情に相応のモノゴトを引き寄せるので なおさらネガティブな事が日常に展開し なおも愚痴を言ったり呪ったりという負のスパイラルをいく事になるのである。下手したら死んじゃいたくなるくらいまでいくのである。

 

呪い と 祝い は同じである。同じ一本の棒の両端。 マイナス と プラス である。

 

なので、他人に対して褒めたり祝福したり良い事ばっかり言ってると、上記の方向とは真逆を行くのでシアワセ街道まっしぐらなのである。行動も伴っているとなお良いと思われる。コツはその相手からの直接の見返りを期待しない。

 

ということで、私はここ最近の生活での心構えとしては、気に食わない事人物や愚痴バッカリ言ってるヤツはガン無視。可能なら遠ざける。自分が呪いゴトを言いそうになったら踏みとどまる。うっかり言ってしまったら10秒いないに取り消す。(自分に 今の無し と宣言する)というのをやってる。

 

まあ嫌な事はあんま起きなくなったが、なんか今ひとつ感があるのである。

で今書いてて気がついたのだけど、あまりヒトを褒めたり祝福してないのである。

 

今後はなるだけ、好きな人や物事を探して少なくとも心の中では褒めたり絶賛したりしようと思う!

 

で聖なるスパイラルのなか 売れてやる!

 

きっとすべて上手くいく!

 

 

 

 

 

 

 

 

潜在意識 ワクワクってどんなだっけ?

引き寄せの法則ってのは、意識しようが意識してまいが絶えず起きている法則でしょう。

で、その法則を意図的に有効利用して欲しいもの、恋人、お金、状況、幸せを引き寄せようってのが あの異星人や あの高次の意識 に代表される数々の本で提唱されていることだよね。

まあ実際いままでの人生を振り返ってみても この法則はあるだろうなとシックリはくるんだ。いや、あってくれと思う。こういうのを駆使して売れてやる!使いこなしてやる!内緒だけど!

意識の焦点を合わせ続けると望んでる望んでないに関わらずその現象が引き寄せられてくるのだという。そのスピードを早める鍵が感情だという。好ましいことを引き寄せたいならソレが叶った瞬間およびその後のことを想像してワクワクの感情を持つべしと。感情が強いほど良いよと。

 

ここずっと圧倒的アファーメーションを絶えずしているので、叶ったトコとかイメージしても、気持ち的にはすでに『これが俺にとっては当たり前だけどナニか?』とワクワクすら感じなくなってきているのである。

で、想像力が足りないんじゃないかと、だから感情が薄れてるんじゃないかと、負のリミッターが掛かってるんじゃないかなと、昨日の記事のようなことをクドクド書いてしまったわけである。

 昨日の結論付けとはある意味真逆のことである。

 

まあとにかく結局うまくいくと決めている。

 

どっかの掲示板で、『得られる確信』、『それに起因する充足感』どちらかが高まれば現象化はまず起きると 詭弁さんという人が言ってたしなあ。

 

とにかくアファーメーションを続けよう。

きっとすべて上手くいく。

 

 

ワクワクってどんなだっけ?

子供のころは校庭で無意味にチャリを乗り回してるだけでワクワクしてたなぁ。

 

 

このブログをはじめてから3記事目で、今書いてる時点で読んでくれてる人0だけど。やがてこういう話ができる人来ないかなー。

 

 

潜在意識 アファーメーション などの効用について私なりに。

2枚目のブログ。

 

心が すべて である。

あなたは 自分が 考えたとおり になる。

          ゴータマ•ブッタ    

 

悟った人間を前に この世界は直ちにニルバーナになると 聞いたことがある。それがどんな感じかは私には想像だに出来ない。

 

〝人生は、世の中は、苦しみ有りき。〟

的な事を多くの人はいう。多くの人々は実際そう思っている。

テレビや出版を代表とするマスメディアは 危機感、悲惨、ネガティブな事柄を煽ることで世の求心力を得ている。実際多くの人間はそれらに注目してしまう。

マスメディアの登場より 遥か以前から 古今東西 伝統的、カルト問わず諸宗教の多くがその手法で求心力を集めてきた。我々のルールを守らねば大変なことになるぞ!と。

 

私も子供のころから聞かされる 親や学校の先生ら 上の世代よりのあまりポジティブでない観念に無意識に影響を受けてきた。 しかし彼らの多くは善意でだ。だからある意味 逆に厄介だ。

 

本来、融通無碍で自由自在なはずの想像力に『人生は苦しみありき』『そんな事したら大変なことになる』などのリミッターがかかってしまっている。上記のことが理屈でわかっていても今もなおである。長年の思い込みの蓄積というのは根が深い。いやこれも結局自分で決めている事か、、。

 

この世界は結局、人の内面を映し出す鏡だ。タイムラグはあるが。

タイムラグがあるがゆえに 多くの人は自分の生き方あり方を新たに設定し直しても(例えば、異性にモテモテな私。等も含め万事)『なにも変わってないじゃん!やっぱダメじゃん!』と意図を取り下げてしまうのである。設定し直す前の内面のあり方がタイムラグで現れてるのである。

 

宇宙の理は内から外への 原因 → 結果 である。

 

意識に保たれた心像は、必ず実現する。

             マスターの教え ジョン•マクドナルド

 

 

幸せも不幸も 成功も失敗も 栄光も挫折も モテるモテないも つまりは自己責任である。

現状に文句をいい世の中を下から目線で呪う人々がいる。ちょっと前の私も含め。

これは他人の価値観で人生決めてきてしまった、あるいは同意して何十年も生きてきてしまった自己責任である。その内面のあり方が現状に投影されてるのである。

世界はあなたが決めた通りに振る舞う。

 

ポジティブな人生を思い描くあるいは感じる想像力の欠如。

これは『人生は苦しみありき』『そんな事したら大変な事になる』『罪悪感』および過去の自分の経験と未来の可能性を関連づけるなどのリミッターがかかっているからだ。これが多くの不幸な大人の不幸の根本原因だと思われる。

潜在意識および引き寄せによる願望成就には行動や努力は必要か否か以前の根本的問題である。 

 

このリミッターを打ち破る手段として、199式などの怒濤のアファーメーションは有効だと思われる。

起きてる時は四六時中『私は○○である。』『オレは●●する。』理想のあり方や目標などを可能な限り圧倒的回数言いつづけるのである。力技である。

 夢も希望も白く塗り返すのである。 

 

一気に変われない不器用な 私やあなたでも きっとうまくいく。 

 

正直、以前にも増してウケだしたしね。このまま一気に売れてやる!

やりまくれば必ず効果はある。

 

もっといろいろ詳しく書こうと思ってたが眠くなってきたのでやめる。

 

 

 

 

 

        

ブログをはじめようと思うのである。

 ブログをはじめようと思うのである。

 

私は一応芸人である。

しかし一番最後にテレビに出たのは何年も前である。

こう書くと何年も前に消えた芸人さんかな?一発屋的な芸人かな?などと思う向きもいるだろう。しかしテレビに出た回数もとても少ないのである。なのでつまりは一発も当ててない、まだ売れてない芸人である。『近々売れてやる!』という気持ちだけは満々だ。その満々ブリたるや細く長い我が芸歴の中でも今が最高潮である。

 私が一番最初に舞台に立った年に生まれた子はそろそろ高校を卒業する頃だろう。

 私の周りにはアラフォーにして売れていない同期、先輩、オーバー30才の後輩もり沢山である。(もちろん売れてるのもいるが。)私も歳をとるが彼らも同時に歳をとるので、このままじゃヤバいと理屈で分かっていてもそれに伴う危機的感情が薄かったのである。そしてズルズルと、、。

 しかしここにきて 売れてやる気満々最高潮 になったそのキッカケは『オレ、あと数年で40才じゃねーか!』と頭洗いながら強烈に思ったことである。

あと親しかった後輩が今年いきなり売れだして 悔しいですっ!!(←他人の。しかも古い。それでも敢て使うオレはチャレンジャー) になったのも一役かってる。

 だいたい突然の心境の変化や何かアイデアが閃くのは 頭洗ってる時 や トイレで用を足してる時 であるな。

 30代前半にお付き合いしていた女性と結婚を意識して、半ば芸事をやめようと気持ちが傾いてた時も『やっぱやめたくない!』と頭洗いながら思い結局その女性とは別れてしまった。可愛かったけど。あれから数年経った今 そろそろ女性が恋しいのであるが『若い頃ならいざ知らず、この歳で結果も出してねえのに来てくれる女いねぇよ!』をスローガンに迫り来るASERI。その様たるや八つ墓村山崎努が如しなり。 

 今回『ブログはじめよう。』と思ったのも頭洗いながらだ。何でかは分かんない。

 

このブログで書くのはそんな私が日々考えてることの雑記などを徒然なるままに、、。

そしてここ数年の私の情熱の原動力を育んでくれてる潜在意識やスピリチャル等のことなども書きたいなと思っている。

正直、潜在意識、スピリチャル系の話はリアルの知り合いや仲間にはほぼしない。只でさえ仲間内からは何考えてるか分からない変なヤツと思われてる感があるのに、潜在意識、スピリチャル等この手の話を下手にしようもんなら『こいつヤベぇ、、』といよいよ彼らは離れていくだろう、、。 

この先、万が一私が売れても(いや断固として売れてやる!)ここのブログのことは口外しないだろう。

そしてこのブログでも正体は明かさないだろう。

 

しかしインプットしたことはアウトプットしたいのである。だからこのブログでは遠慮なく書く。

あとあんまりボケたりしないと思う。

 

ブログというか日記的なものを書くのはまだ招待制だった頃のmixi以来だが、ここまで書いてて結構たのしいな。

 

ここまで読んでくれた人がいたなら感謝です!ありがとう。

いろいろ不慣れで手探りですが よろしくです!